冲方丁『天地明察』

天地明察

天地明察

 『告白』が挙げられたので、本屋大賞つながりでこの本を紹介。『天地明察』は、諸君に勧める本のなかではこの一年の最高傑作だと思っている。


 一言でいえば、この小説は、「文化」をめぐる<物語>である。むろんそれだけがこの小説の全てではないが、主人公・春海の人生が語られていくなかでその底流に常に潜んでいるのは、「文化」はいかに立ち上げられていくか、という物語なのではないか。
 授業でもちらと触れたが、時間の管理というのは王や為政者の証明である。この時間の管理、すなわち正しい暦の作成を依頼される渋川春海をめぐる物語である。*1

 とはいえ堅苦しいテーマ小説というわけではない。物語自体は、春海が出会う事件に沿って描かれていく。とくに冒頭、主人公・春海の、まだ見ぬ関孝和への対抗心の描写からして燃える。不在の関孝和のかっこよさといったら! そして次々に出てくる徳川幕府の人々たち。保科正之水戸光圀、山崎暗斎、エトセトラ。
 一つひとつの掘り下げという点では足りないところがあるらしいのではあるが(碁の描写や、数学の知識、測量に関する記述、また天文の知識など)、そこをあげつらうよりも、これらを総合して一つのエンターテインメントに練り上げたことの凄さに触れるべきであろう。


 作者・冲方丁ラノベ出身ということもあって、<キャラ>や<シチュ>がよくわかっていらっしゃる。そのうえに、さらに「人間がきちんと描けている」感がある。「記号」をきちんと操ったうえで「人間」がきちんとかけているなら、これは無敵ですよ。
 余談だが冲方丁は自分の卒業した高校の一コ下にあたる(直接の面識はないが、生徒会室でよく見かけたように記憶している)。たまたま書店で『ユリイカ冲方丁特集を見かけたのでパラパラめくっていたら、インタビューで、私も所属していた(というより夏の全てを賭けていた)門班のことなどが触れられていて懐かしくなった(私が高2のころ、門班ではテトリスの門、ヴァシリー・ブラジェンヌイ寺院を造ったのである)。ただ、インタビューで触れられている、建築に進んだというのは誰だったろう?(私の上下二年で建築に進んだ人で覚えているのは一人だけなのだが、山が好きだった同学年のその彼は大学生のころ遭難して帰らぬ人となった。彼のことではないと思う)。
 それと、冲方氏も所属していたという仮想現実同好会(!)の、たぶん立ち上げメンバーの一人・Y君は私の同級生で、修学旅行で2人部屋の同室だったりもしたのだが、進級したらろくに話すこともなくなり進学はしたらしいがその先は知らず、最近同窓会名簿が送られてきたのを見たら物故していた。35年も生きているとそんなこともある。


 閑話休題
 数学、天文、囲碁、地理、歴史、政治。文系でも理系でも面白く読めると思う。むしろ文系/理系の区分に囚われている向きこそ、読んでほしい一冊である。

*1:ちなみに、この本のキャッチコピー、「江戸時代、前代未聞のベンチャー事業に生涯を賭けた男がいた。ミッションは「日本独自の暦」を作ること──。」は、編集者がつけたのだろうけれど、これはひどい。何がベンチャーだ! 全然ベンチャーじゃないぜこれ。むしろ徳川幕府が朝廷に抗して、そして日本文化が中国文化に抗して行おうとしているところが読みどころなのに!