源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

山本淳子『源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書,2007)読了。
サントリー学芸賞を得た著作だが、しっかり読み通してはいなかったので改めて読んだ。


表題に源氏物語とありながら実際は平安朝の話題、という本は少なくなく
(なぜなら表題に「源氏物語」とあった方が売れるからだ。出版社は売れるタイトルを好む)、
この本も直接『源氏物語』を扱ったものではない。だが、一読すればわかるように、羊頭狗肉のたぐいではない。
源氏物語』ないしは紫式部の存在が、一条や皇后彰子の心理や認識に相互作用している様を活写し、
あるいは『栄花物語』以降の歴史叙述の基底となっているかを細かに描き出して、
その歴史的意義を逆に証し立てていく感がある。


とはいえ、テーマは何よりも、一条天皇中宮定子、皇后彰子の再評価にある。
飛躍がある、ないしは、この三者をあまりに良心的に捉えすぎだという批判は容易に予想できるが、
史料や物語の読解を駆使し、急所をきちんと押さえたうえでの飛躍なので、
小気味よく読み進められた。久々に、<研究>と<一般>を良く取り持つ書物に出会えた。


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以降は備忘録(おまけ)。
源氏物語』の古注釈が「准拠」を博捜するとき、実は一条朝前後の記事も大量に
載せている。だが、『河海抄』以来の大きな流れとして、いわゆる准拠論は
延喜天暦期への比定に傾きすぎた。『源氏』本文の示唆の在り方をたどればそれは無理のないことだけれども、
いわゆる准拠論とはまた異なったスタンスで(たとえば一条朝前後を論じたものとしての代表である
山中裕の研究は准拠論的な限界を乗り越えていない)、
そして単純に物語作者の周辺をたどるような素朴な作者論ではなく、
ましてや一時期大量生産された(半ば知的遊戯の名を借りた)牽強付会的なこじつけを超えて、
本書が目指そうとしているような心性の相互干渉史的な意味合いで、
源氏物語』と一条朝前後とを比較検討していく研究のありようはありうるかもしれない、と改めて思った。
逆にいえば、文学と歴史とが現実的に(!)容易に相互干渉しうる珍しい時代だったわけでもある。