実力テスト終了。お疲れさまでした。


 体育祭や文化祭で盛り上がったのはいいのですが、そのあとの<切り替え>の、うまくいっている者と、いっていない者とがいるようです。
 選抜クラスとはいえ(…というより、選抜クラスだからこそ、と私は思っています)、いろいろな経験をしてほしいと思っているし、一面的でないいろいろな考えや認識を持ってほしいとも思っています。様々な経験はきっと君の素地を豊かにしてくれるでしょう。ですが、野放図に全てが許されているわけではない。礼を見失ってはいけないし、きちんと締めるべきところで易きに流れてはいけない。


 とはいえ──こう書いたものの、実際はけっこう難しいことです。特に、「ノリ」や「空気」と呼ばれるものは、個々の判断を圧倒的に覆い尽くして誤らせるものであることは、歴史が証明しています*1。だが、「ノリ」や「空気」に流された経験を自覚・認識する契機を何度か積み重ねていくなかで、「ノリ」や「空気」を客体視できるようになっていくとも思うのです。そうした、客体視できる知性を、ぜひ身につけてほしいと切に願っています。
 別段、他人を傷つけたり、礼を失したり時機を誤ったりしていないかぎりは「ノリ」や「空気」に乗っかり楽しむのは別に構わないと思うのです。けれどもね、という話です。「ノリ」や「空気」との適切な距離感を身につけた集団になったら、最高にかっこいいと思いませんか。オレはかっこいいと思うんですけど。 

*1:例えば、ナチスドイツのユダヤ人迫害が非人道的であったことは今は誰もが認識していますが、迫害が行われていたその瞬間のドイツ国民の多くは、自分たちのしていることは善であると全く疑っていなかったといいます。皆、ごく平凡な善なる一市民だったのです。「善」がいかに厄介なものかを物語って余りある事例といえましょう。