現代文の穴埋め問題を採点するたびに思うことだが、ささいな穴埋め問題であっても、やはり読書量(文章に触れる量)の多寡が関わっているように思う。語彙が貧弱だ豊富だ、というだけではない。


たとえば「救済」と「救出」とでは、用いられる文脈の水準(ステージ、レベル)が異なる。今回は合議でどちらも正答としたけれど、たとえば、
火災現場からの( あ )
魂の( い )
とあったら、「あ」は「救出」、「い」は「救済」であろう。容易だろう。だが全く文章に触れていない者にとっては、「なんで?」と言いたくなるかもしれない。逆に、容易に選べた者も、なぜそれを選んだのか聞かれても、「いやー、なんとなく…」と答えたくなるだろう。
 本を○○冊読めばこの力がつく、というように定量化して示せるものではない。だが、しかしやはり、普段から文章を読み慣れている者は、なんとなく、ある文脈でaという言い回しが求められbという言い回しは求められないことを見抜く力を、身につけるようになる。


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注意不足の解答も多い。私が採点したクラスだと、たとえば空海の転機を列挙する問題の解答例。

・大学をやめ、私度僧となったこと。
遣唐使船に乗り込む一ヶ月前に正式に出家する。

同じ水準の文章をふたつ並べるのに、どうして文末を統一しないのか。そういうところの注意力が散漫な解答が目立った。やれ現代文が苦手だなんだと言われるが、こういうあたりの配慮不足は、それ以前の問題、であろう。
 毎回ケアレスミスすることなど、ケアレスミスとは言わない。


 明日以降のテストも、注意力をきちんと発揮してほしいものです。「確率統計」的な言い方をすれば、テストは、サイコロを複数回振る(6×6×6×…)ような、毎回条件がリセットされる試みではありません。前回の失敗や反省を次の試みに生かすことができるものです。ぜひ、テストへの「心の持っていき方」についても、テストのたびごとに上達していってほしいと思います。