NHK教育「スコラ─坂本龍一 音楽の学校」、録画していた分をまとめて観る。4月はバッハ編とのこと。「遅れてきたYMOファン」*1にして、高校ギター部でバッハ(というより端的にいって「トッカータとフーガ」の凄さ)にはまった身としては、これは観ざるを得ない。もとより教育テレビの妙にマニア心をくすぐる番組づくりのファンでもあるので、なおさらだ。


 番組中、おもしろかった言及いくつか。音楽を専門的に学んだわけではないので、そういう向きには既知のことかもしれぬ。無知をさらすようだが列挙しよう。
・和音を共有することで、様々な楽器がそれぞれに発した音がまとまりをもってゆく。(当たり前のことだが目から鱗
・バッハによるドミソのミの発見が音楽史的に重要(バッハだけではないのだろうけれど)。
・ドとミは実は不協和音。
・不協和音によって、人が感情を音楽で表出することができた。
これを書くために観直したわけではないので、だいぶ自分なりに曲解したものもあるかもしれない。それにしても、不協和音こそ表現と結びつくために必須である、という考え方は、とてもいい。


そして、坂本龍一がシリーズ冒頭にあたって今なぜこの番組をやるのかと述べるくだりは、とりわけ「ううむ」と唸らされるものであった。坂本はこれまで、いかにもな「音楽全集」的なものに反発して音楽をやってきたが*2、気がついたら現在において、「音楽全集」的なものが崩壊し、無効化してしまっている状況にある。音楽全集的なものを踏まえつつ反発してきた自分だからこそ、いま、新たに音楽全集を再構築する必要性を感じた、といった内容だったように記憶している。


 これは、いわゆる「教養主義」の崩壊・無効化という現在の潮流とリンクしているのは明らかで、今、かつてそういったものに反発してきたように見えた天才たちが、各ジャンルでこぞって、自分の仕事をまとめ直し、反発してきたように見えた対象との距離を冷静にとらえ直そうとしているようなのである。これらは「かつての天才たちの保守化」ととらえられがちではあるし、実際保守化なのかもしれないけれども、そういった人たちに憧れてきた自分としては、彼らの人生のまとめ直しをできるかぎり見届け、受け止め、そして楽しみたい、と思わされるのである。


 6月のテーマは「ドラムとベース」でゲストは細野晴臣高橋幸宏。垂涎。いまから待ち遠しい。まさかまた「どてらライディーン」をやるとは思わないのだけれど。

*1:といっても、YMOで気に入っている曲はことごとく坂本龍一の作曲ではなかったりもする。アルバム『BGM』がmy favorite。

*2:坂本龍一の履歴を見ればそれは実にわかりやすい。