修了文集の原稿は修了式にぎりぎり揃い、落ちがないか入念なチェック、そして全体の様式を揃えて、翌日ようやく入稿しました。修了式には間に合わないものの、年度初めに渡せそうです。
 おかげで、3月は入稿まで1日しか休みがなく、入稿翌日はオフだったので家で泥のように眠っていました。修了式では、何人かの生徒と直接話をしたかったのですが(成績のこととか、部活・生活のこととか)、思うように時間がとれずに話ができなかったのが残念です。年度明けも話す機会はあるとは思いますが。


 そんなわけで、そもそもこのサイトすら、誰が見ているのかすらわからない状態になっています。ブログは定期的に書かないと読者が離れる、というのは鉄則です。それはわかっているのです。しかし襲いかかる仕事たち…。明日からは部活の合宿、帰ってきたらすぐ年度初めの仕事たちが襲いかかってきます。


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修了式前後に、とある卒業生が訪ねてきてくれました。高2のとき担任していた生徒でしたが、高3では国立文系に進み、一浪してH大学に合格した生徒です。卒業以来、学校には足を踏み入れていなかったといいますが、久々に会い、短い時間でしたが今の状況や、かつての思い出などの話を交わし、楽しい時間でした。嬉しいことに、私が高2のとき、H大学を意識させるような言葉を投げかけたことが、結果的に彼の進路に影響した、という話でした。私へのサービストークが何割か混じっているにせよ、嬉しいことです。


彼の名をとっさに思い出せなかったことを除いては…!


痛恨ですよ。痛恨です。いや、確かに言い訳はできます。高3では担任していなかったこと。一浪での合格だったので、もちろん一浪生の合格の時にはそのリストを目にしているのですが、そのあとも直接会うことはなかったこと。名前だけ思い出せなかっただけで、彼をめぐるエピソードは(そのあとの彼との話のなかでも)スラスラと思い出せたのだ。俺は悪くないんだ。俺は悪くないのです。

と書き連ねても空しい。俺が悪いのです。以後気をつけます。でも、私は、絶望的に「人の名前を覚えるのが苦手」なのです。正確には、絶望的なまでに「顔と名前とを一致させる力に乏しい」のです。

卒業生各位は、私を訪ねてくれる際には、まず自分の名前から名乗ってください。それが優しさというものです。ひとかけらの配慮が円滑な人間関係を形成する。そう思いませんか。そう思います。反省してます。H大を受ける生徒たちとは、夏休みも冬休みも特別講習も、ひたすらH大対策の講習をやりました。こちらは全力を尽くしたし、生徒たちも全力を尽くしてくれたのでした。おかげで論述のマルつけは多忙を極めましたが、今ではいい思い出です*1。そのうちの熱意ある一人なのに、その名を忘れるとは。忸怩たる思いです。


でも、訪ねてきてくれてありがとう、M君。卒業生が足を運んでくれやすいというのが、私立で勤める醍醐味なのかもしれません。

ちなみに、別の、こともあろうに高3で担任した生徒の名前すら忘れる失態を文化祭でしでかしたのはまた別の話。

*1:ちなみに私大国語の講習も直前講習にもかかわらず40人程度が受講してくれました。生徒のやる気がこちらの120%のやる気を引き出してくれたように思い返させられます。いや、そりゃいつでも100%は出せますが(一応プロなんで)、無意識の120%を出させるのは生徒なのです。