雑駁一瞥近代日本文学史・5

5 自然主義
 明治40年ごろから。
 よくも悪くも「自然主義」は日本近代文学史の「柱」となります。これ以降の文学史は、自然主義との「距離感」を考えると捉えるとよりわかりやすくなります。もうはっきりいって、「自然主義」対「反自然主義」の歴史といってもいいくらいです。
 この企画は、別に文学研究者を養成するのが目的ではないので、正確ではないがわかりやすい言い方をあえてします。例によって目くじらを立てないでいただきたい。流れはこんな感じ。


・欧米じゃゾラとかが提唱している「自然主義」が流行っているらしいぜ。

・「自然」って、ありのままを書くことだよな

・ありのままに起こったことを話すぜ、って感じでとにかくそのままに書けばそれが文学だぜ。当然、恥もさらけだすがしかたないぜ。そんなストイックな文学に邁進する俺!

・それ以外は文学にあらず!


 欧米の「自然主義」を、日本の文学者たちが曲解、矮小化して、自分の身のまわりに起こった出来事をストイックに、虚飾を排して書くのが「文学」なのだ、と展開していくわけです。挙げ句の果て、自分の日常がつまらないから自分の日常をわざと破天荒にしていくような作家まで出ていきます。これの最終形態が「私小説★」とされます*1
 読者は大変です。作家たちの人間関係まで知ったうえで作品を読まなければわからない。ファンや信者、逆にアンチなら良いですが、はっきりいって、作者の妻が誰で愛人が誰でどういう仕事で、とか、どうでもいいわけです。勝手に悩めよ!という。私の恩師のご岳父が、芥川賞の選考委員を長年務められた私小説家で、そういう興味から作品を読んでみたのですが、正直とにかく辛かったのもいい思い出です。これで日本の文学は数十年遅れたという悪口をいう人もいます。*2 *3
 覚えるべきは二人。もちろんもっと脈々と系譜はあるし、これ以後挙げる作家にも自然主義的な要素、私小説的な要素が色濃い作家もいるのですが(例えば自然主義の誕生に前回触れた国木田独歩は大きい役割を果たしています。また、のちに白樺派で触れる志賀直哉は、日本で最も上手い私小説家といえます)、とりあえずは象徴的な二人を覚えましょう。


a 田山花袋(たやまかたい)★
・代表作は『蒲団』★。「ふとんはかたい」と覚える。中年作家の主人公が住み込みの弟子の女性に恋慕の情を抱くが妻はいるしどうしよう。あれこれあって結局弟子は自分の元を去るが、主人公はその弟子が使っていた蒲団の匂いを嗅いで煩悶する。END。
自然主義の象徴のような扱いを受ける作品です。当然、主人公は作者と重なるわけで、みんなこの、「ありのまま」感、自己暴露感に、吃驚したわけです。


b 島崎藤村
・初期藤村は詩人として浪漫主義にくくられますが、小説家としては自然主義の代表作家です。
・代表作は『破戒』★、『夜明け前』★。それぞれテーマは重いのですが、掘り下げの点でうーんと思わされるところもあって私は正直いって苦手です。自己暴露的な面では『家』や『新生』(姪との恋愛関係を暴露)があるが、ここまでは出ないかな。


 さて、この日本流自然主義の隆盛を、まずは本当の意味で欧米を知っているあの二人が、「阿呆か」と高みから見下ろします。それが、鷗外と漱石です。以下、次回。

*1:ただし、私小説の全てがつまらないわけではありません。芥川賞西村賢太が獲得して、書店ではちょっとした「私小説推し」ムードもあります

*2:ビートルズビーチボーイズの曲解であるグループサウンズが日本のロックを10年遅れさせたというのと同じ論法かもしれない。

*3:そういえば、太宰『富岳百景』を授業でやりましたが、太宰は意図的に私小説のパロディを行っているという批評があります。