今日も朝から採点。


 昨日は部活の関係で、関東高体連主催の「安全対策講習会」に行ってきました(そのあと選挙にも行きました)。
 生徒の参加の上限は5人ほどと言われているので、高1・2人、高2・2人を引率して行ってきたのですが、たいへんためになりました。
「膝・足関節のケガとその予防」
「脳震盪と急性硬膜下血腫」
熱中症・アンチドーピング」
アメリカンフットボール選手のための栄養と食事」
「頭・頸部外傷時の救急搬送方法」
「高校生に必要なフィジカル・トレーニング」
という題で、それぞれ20〜30分程度、斯界の権威だったり新進気鋭とおぼしかったりという、医師(スポーツ医学の研究者)、トレーナー、栄養士などが入れ替わり立ち替わり、講義をしてくれるという企画で、数年連続で私は参加しています。
 で、これが、パワーポイントを使うとはいえ、統計的なグラフやら、骨折や靱帯損傷、捻挫などのメカニズムの図やら、骨折の内部の写真やら硬膜下血腫の手術で脳がむき出しになっている写真やら、食事と栄養の相関図やらの3時間半。正直いって寝てしまってもおかしくない内容なのですが、(ごく一部の他校の生徒を例外として)生徒たち(選手や女子マネ)は熱心に聴ききっているのです。


 はっきり言いますが、うちの学校で同じ講義をアメフト部(ないしは類似した系統の運動部)ではない生徒にしたら、半数は寝ます。確実に寝ます。コーラを飲んだらゲップをするくらい確実です。


 なぜ寝ないのか。彼らの方が「お勉強」が得意、ということではないのでしょう。寝ないのは、強くなりたい(また、安全にプレイをしたい)自分たちに、大きく関わりがある問題であることを知っているからです。そして、彼らは強くなっていきます。当然、私も寝ません。それは私が節度ある大人だからというわけではありません(大人だって退屈なものは退屈です)。私は残念ながらアメフトのプレイヤーではありませんが、勝ちたいと思う生徒にできるだけ意味のある助言をしたいと願っており、危険につながる行為やふるまいをする生徒は厳しく叱責しなければならないと考えており、そして、試合や練習のときに生徒が怪我したときにできるだけ適切に対処しなければならないという責任を負っている、そういう教員ではあるので、講義で聴く内容が本当に役に立つことをリアルに知っています。だから寝ません。


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 同様の例を、ふと思いつきました。私は、家庭科の「栄養」が、授業は聞いていたもののどうしても頭に入ってこなかった小学生だったのですが、しかし、子どもが生まれて離乳食(後期ですが)をつくるようになると、やはり栄養バランスを考えざるをえなくなります。特に、乳児は食材や調理法も限られるので様々な工夫が必要なのです。そこでいろいろ本を読み、なるほど栄養はこういうことだったのかと思いました。
 大変な時期ではありましたが、そういう動機があって覚えたことは、なかなか忘れません。


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 さてここで翻って、普段の諸君の話に飛ぶのですが、──つまるところ、学習の意欲というものは、やはり本人にとってのリアルな「意義」への意識と密接に関わっている、ということでしょう。
 ですが、ここで難しいのは、「何が勉強の「意義」なのか」という問いへの答えは、一つだけではないだろうという点です。勉強の「意義」は人によっても異なり(異なるべきであり)、また一人のなかでも複数・多角的に存在してしかるべきものであり、また状況の変化によって変容したりもする、そういうものであるように思われます。そのあたり、私も教員として「意義」を提起するよう折々心がけていますが、他方で「それは教えてもらうものではない」という考え方もあります。「意義ぐらい自分で見いだせなければ別にわざわざ勉強しなくてもいい(みんながみんな高等教育を受ける必要は別にない)」という言い方もあるだろうとも思います。なかなか難しいものですが、とりあえず提起するだけは提起して、あとは見返りを過剰に期待することなく諸君の成長を待つ*1、というのが、実際しうる最大限のことかもしれません。そんなことを思った一日でした。

*1:「為して恃まず」とはこのことを指す言葉です。